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子どもの頃から先生になりたくて、
でも、一生勤めるつもりだったその仕事を捨てたのは、
女手ひとつにもかかわらず、結婚当初、姑が当たり前のように住まいを増築し、
2世帯にして待っていてくれたからでした。

男性はずっと仕事ができるのに、
自分の親とも一緒に暮らせるのに、
同居の打診は受けてないのに、
何で長男だと当たり前なのかな・・・
私の気持ちは考慮されないのかな・・・
なんか、女性は損だな・・・

何も疑わず当たり前に、嬉々として2世帯の建築を進める姑に、
当初はすとんと納得できない自分自身も確かにいました。

結婚後もしばらく仕事を続けましたが、
私達のために建ててくれた部屋をいつまでも空き家のままにし、
大好きな人の母親の気持ちを見ないふりするほど、私は頑固でもありませんでした。
ちょうど、持ち上がりで担任していた子供達が卒業するのを機に、
きっぱりと辞めてここへ引っ越してきました。

引越しをして数ヶ月、姑はくも膜下出血で倒れました。
幸い処置が早かったので後遺症も残らず、今は元気にしていますが、
入院が1ヶ月続いた時のこと、
毎朝、看護師さんが姑に尋ねました。

「お誕生日はいつですか?」
「お名前とお歳は?」
「ご家族は?」

手術後の頭のリハビリだったのでしょう。

家族と聞かれて彼女は答えました。
「子ども3人と孫2人です。」

子どもというのは、勿論自分が生んだ子ども、つまり私の夫、その姉、弟です。
孫というのは、嫁いだ娘、つまり夫の姉の子どもです。

彼女の言う家族には、私は入っていなかったのです。
遠く離れた別の家にいる孫は入って、一緒に住んでいる嫁は入っていません。

あぁ、そっか・・・あくまでもお嫁さんは他人なんだ・・・

それを知って私はがっくり・・・
いいえ。反対でした。

彼女の本音を知り、
ならば、彼女も何かを我慢し、理不尽も感じているかもしれないと。

女でひとつでせっかく育てた娘をどこかへやり、
息子がこんなへらへらした娘を連れて来たら、
それは、私が仕事を一生できるできない、よりも、
もしかしたらもっと納得できないことかもしれないな・・・

入院中は個室だったので、下の世話もしばらくしました。
目の前にいるのが病人なので、私はそれを当然と思い負担ではありませんでしたが、
そういう世話は、する方よりもされる方がずっと辛いと感じました。
彼女は当時、まだ50代でした。
一緒に住み始めたばかりの知らない娘に・・・

幸い、退院後、姑は入院中のことは殆ど覚えていませんでした。
下の世話も自分の娘がずっとしたと思っているようです。
それは、私をほっとさせました。
覚えていたら、やはり彼女は辛かったでしょう。

彼女の方が辛いに違いない、
それでもいつもにこにこして私に気を遣い、大事にしてくれる・・・
それがわかったことで、私は以前の仕事への未練をすっぱり断ち切りました。

この地でも、今度は塾や教室での仕事を見つけられ今に至っていますが、
さて、住まいは2世帯の形であっても、私が仕事で留守の間に雨が降り込めば、 
姑は、こちら側にも入ってきて窓を閉め、洗濯物を取り込んでくれます。 
窓を閉めて出かけ、午後から陽が入ってきた時には、 
私達の寝室にさえもずんずん入り、窓を開け、風を入れてくれます。 
それを、プライバシーがないわ、と脹れることもできますが、 
彼女があまりにも当たり前にそうする善意を前にすると、 
プライバシーってそんなに大層なものだっけ・・・と苦笑します。 
 
欠けたお皿が、花壇の柵の代わりに並んで挿してあります。 
古いお鍋は取っ手をはずして、水をまくバケツの代わりにします。 
古着は、傷んでいないところをはぎ合わせて、座布団カバーにします。 
庭には、こぎれいな花の代わりに野菜が植わって、 
もらったり買ったりした野菜も冷蔵庫に入れないで、土に埋めます。 
なるべくなら隠して陰に干したいと私なら思う下着も、 
彼女は一番お陽さまに当たるように外側に干します。 
軒下にはいつでも、玉ねぎやら大根の葉っぱやきのこがぶら下がっています。 
お味噌を作り、梅干を作り、漬物を漬け、ラッキョウを漬け、 
古くなったセーターを解いてまた編みなおし、 
生ごみを埋めて肥料にし、ご飯粒を糊に使い、 
古新聞を束ねて縛るのは、古着を裂いて作った紐です。 
ベルトが破けて取れそうになったつっかけサンダルも、直して履きます。 
薄汚れてしまったお布団の、中身の綿を出して、 
日干し、夜干し、それに新しいカバーをかけて使うことも教えてくれました。

都内で育った私にはどれもこれもみんな知らない経験でした。 
 
名前も知らない道行く人にも、 
「行ってらっしゃい。」「お帰りなさい。」と彼女は声をかけ、 
いつでも笑って、楽しそうに鼻歌を歌い、 
雨が降れば雨の日の暮らしをし、 
夏の暑い日には夏だからできることをし、秋になれば冬支度をします。 
 
そして、一日の終わりには「きょうもありがとう。」と言って寝ます。

自分の親も近所の大人たちも、先輩達はみんなそうだったのかもしれません。
でも、自分が子どもである以上、それは精神的にという意味ですが、
そういうものは目に入らないのです。 

そんな彼女を前にして、 
私が頭の中で捏ねくりまわしたジェンダーのことなどは、何の意味も成さなくなり、 
嫁だろうが、姑だろうが、男性だろうが女性だろうが、 
彼女が私にとって何であっても、 
私が彼女にとって何であっても、そんなことはどうでもよいように思えます。
私は初めて、先輩達の生き方は見ておかなければいけないと思いました。

別に彼女のスタイルをそのまま良しとし、 
自分のスタイルを丸ごと否定するものではありませんが、 
人として先輩として彼女の背中から学ぶことは多く、 
彼女のスタイルを見てきたのと見てこなかったのとでは、 
これまでの、そしてこれからの私の生き方は違ってきたと思います。

あのままずっと仕事をしていて、そこから学ぶものはたくさんあったでしょう。
でも、私はこの人を側で見ている暮らしを選んだことを、
今では最良の選択だったと思っています。
教員として学びそこなったものと、彼女から学んだこと、
それらをプラスマイナスで測ることなどはできません。
少なくとも、2人だけで暮らすより、自分の親と暮らすより、
私自身にとって影響が大きかっただろうと思うだけです。

2人だけで暮らせば、甘えが出る。
自分の親と暮らしていても、私の場合は甘えが出ます。
そう、姑とは、他人だからこそ、それを通して自分を見つめなければならない、
そしてそれは、段々に本当の意味での自立を促していくような気がします。
 
いい歳をして、大人になったつもりで、 
生活も言動も、感情も、理性も、うわべがもこもこしていたにすぎません。 
姑に「あっはっは」と笑い飛ばされながら、 
粘土細工のように、手の跡をひとつひとつ残して、 
うわべのもこもこを何とか形あるものにしていきたいものです。 


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2010.06.29 


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