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高校生と一緒に勉強をするのは、個人授業ということもありますが、
本人も少しずつ自立してきているので、必要以上に甘えたり、感情のまま言葉を発したり、
授業が前に進まなくなることもありません。
彼らと人間せんせいとは少し距離を保ったまま、淡々と机の上の勉強だけが進んでいきます。

中学生というのは、まだそこまで自立していなく、
この間まで小学生だったかわいらしさと、自分の足で立とうと背伸びしてもがく姿とで、
机の上だけでなく、手がかかります。

遅刻する、教科書やノート、辞書も、果ては筆記用具さえ持ってこない、
家は出たのに塾へは来ていない、補習や授業の変更があっても忘れている、に始まり、
ポケットで携帯が振動すれば、気になって覗き込み、授業中はおしゃべりが我慢できず、
机や椅子、教室の備品にはいたずら書きが絶えず、生徒が帰った後には、机の中にごみが残っています。

「忘れ物をしたことで小言を言い、授業が止まるなら、
 塾用に教科書も辞書も筆記用具も、みんな用意して貸してやればいい、
 授業開始時間に席についていない子には、こちらから電話を入れればいい、
 携帯を覗き込んでも、たかだか数十秒、やらせておけばいい・・・。」

塾長はそう言い、
ひとつでもたくさんのことを教えてなんぼ、という塾にあっては、全くその通りなのですが、
そして、今ここで目くじらを立てなくても、
子供たちはどこかの時点でマナーなり心構えなりを学んでいくのでしょうが、
そういうお行儀の悪さを無視するにもエネルギーが要り、
また、無視できない自分もいて、彼らの授業の後にはぐったり疲れます。


『教科書 unit8 の section2 を開けて。』
「何ページっすかぁ?」
『unit8 の section2 です。』
「だから、何ページ?」

ここ何年か人間せんせいの前の子供たちは必ずこう聞き返します。
ページくらい教えてやればいいのですが、教えません。
ページを見て教科書を開くことはできても、
全体のまとまり、大見出し、小見出し、そういったつかみ方がだんだんできなくなっているのです。

だから、ノートも黒板を写すだけで、
内容を大づかみにしてまとめるということができません。

以前は要約を板書するだけで、子供たちは自分なりにまとめていきましたが、
今の子達は、言葉で説明したことをメモするということは皆無です。
したがって、ノートにはタイトルと例文がずらずら書いてあるだけで、
それがいったい何を意味するのか、わかっていないし、
プリントをやるときに、それを活用しようとはしません。

人間せんせいが子供だったころに比べて、今の子供たちは、机に向かっている時間は長いと思います。
塾に行っている子なんて、少なくとも人間せんせいの周りにはいませんでした。
もっとたくさん遊べたし、
もっとたくさん本も読めたし、
もっとたくさん日常に心が動いていたように思います。

テストや問題集がいつの間にか記号選択が多くなり、単語や語句を括弧に入れていくようなものになり、
子供たちは、ただの断片でしかない知識の、
しかもその一部を切り取って、積み重ねることを要求されています。

そんな知識はおもしろいはずがなく、
机には向かっていても、そこに新しいことを知りえた喜びがありません。
ばらばらの情報や知識がいくら簡単に手に入り、積み重なっても、
それを整理し、分別し、また相互にリンクさせ、自分で新たに構築させる力がなければ、
加法は加法にしかなりません。

たかだかページを言ってやることくらい、何かを損なうことではないのかもしれません。
でも、そんなことでも今の子供たちの15年足らずの積み重ねが見えるようで、
どうしても譲れなくなってしまうのです。


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2010.03.29 


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