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人間せんせいは3歳から、高3までの子に英語を教えていますが、
なぜだか、中3だけは国語も教えています。

最近の子は文字を読むことも、書くことも少なくなり、
総じて国語が苦手だったりします。
旧式然とした読解中心の内容は、何か改革が必要な気もしますが、
中3で、目の前に受験があるのなら、授業改革云々と言ってる暇はなく、
即効性のある教え方をしなければなりません。

まず、やっぱり読むこと。何でも、活字を。何度も。
そして、それを要約すること。
頭の中で整理し、自分の言葉に置き換えて表現してみること。
受験の問題では、記号で答えたり、本文から抜き出したりすることばかりですが、
やはり、基本は読む、書く、であると思います。
今の子どもを取り巻く環境が、それをあまり必要としないものであっても。

ただし、感じるということは、教えられるものではなく、
また、一人一人違っていいもののはずですから、
子どもたちの成育歴や、環境にまで口をはさむことはできません。
本当なら、即効性なんてあるわけないのです。
教えることができるのは、問題を解くテクニックだけで、
その結果、長文の問題が間違いなく解けるようになったからといって、
読解力がついたとはいえないのです。

それでも、今の子どもたちが、
言葉の意味や使い方、読み取り方、感じ方さえも、机上で学ばなければならないのは、
きっと大人たちの責任が大きいでしょう。
採点をする側の大人の都合で、
正解が一つしかないようにできている問題ばかりでは、
読解力や、表現力が苦手になるのは当たり前です。
そういう訓練ばかりやらされて、
日本語の美しさや、素晴らしい文章に触れたときの感動を、
このように感じなさい、これ以外は不正解ですよ、なんて、
どう考えてもおかしいと思うのです。

本来なら、大人たちとの日常の中で日本語を学んでいくはずなのです。
「今の子どもの日本語が乱れている。」
「読解力がない、書けない。」と大人たちが言うことは、
天に向かってつばを吐いているのと同じ気がします。

昔、新任だったころ、先輩の先生に
「子どもの前に立つときは、日本語に気をつけなさい。
 彼らはあなたの日本語を聞いて育つのですよ。」と教えられました。
子どもは生活の大部分を学校で過ごします。
先生の言葉づかいというものも、大いに影響があるでしょう。

父や母からも、「話す言葉にはその人の人格が出る。」と教えられました。
今、せんせいである前に、私は日本語を話す大人です。
大人として恥ずかしくない日本語を、子どもたちに聞かせたいと思っています。

ですが・・・
そう思いながら、
人間せんせいも天に向かってつばを吐いている一人です。
お手本になるような日本語を聞かせているとはとても言えず、
受験に打ち勝つべく、即効性のある教え方ばかりしてしまいます。

さて、土曜日から始まった夏期講習、
きょう火曜日は終業式があり、夜の授業だけでしたが、
これから3週間は休みがありません。
なんで、子ども達はそんなに勉強するのでしょう?

2010.07.21 


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