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--.--.-- 
3月になって受験も学期末テストも終わったら、
のんびりとどこかに行きたいと思っていました。
2月に入ってから根回しを始めましたが、うまくいきませんでした。

人間家族は仕事がちょうど忙しい時期にさしかかり、
お友達を誘っても、彼女たちは春休みになってからの方がいいと言うし、
春休みになったら人間せんせいの方が動きが取れないし、
父がまたラスベガスに行こうと言い、まぁそれでもいいかと思ったのですが、
アメリカの様子が日によってだんだん怪しくなり、
言いだしっぺがしり込みを始めました。
エステつきなら、絶対に乗ってくるだろうと姉をバリに誘いましたが、
思惑通り乗ってきたものの、バリは今、雨季だということで、だめ。

今回はおとなしく家にいてゆっくりしなさいとのお告げなのかな、と思いましたが、
ひょんなことから父がテニアンツアーにいくのだという情報が入り、
それに便乗できないかと頼んでみたところ、了解が取れ、
めでたくサイパン、テニアンに同行できることになりました。

テニアンは、サイパンやグアムに行くときに、横目で見て、
いつかロタとともにのんびりと訪れたいと思っていました。
海と白い砂とお陽さまと、ゆっくり流れる時間と、
きれいな空気、真っ青に広がる空に抱かれるだけで、
かつてはみんな海から陸に上がって来た、泣きたくなるような懐かしさと、
母の許に還るような安らぎが、足の先からこの身体に広がっていきます。

そう、それだけでよかったはずなのです。

なのに・・・・・・。


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2003.03.24 
父の参加したツアーは、ゴルフツアーでした。
宿泊はテニアン島、父がサイパン島でゴルフをしている間は、
人間せんせいはビーチで転がって海と太陽を独り占めする、
その目論見でくっついて行ったのに、
テニアンに到着した後すぐに、その計画はもろくも崩れ去りました。

サイパン島から小型機に乗り換えてテニアン島に向かいます。
すぐ目の前に見える島なので、10分くらいで到着します。
テニアン島上空に来て下を見たら、緑、緑、緑!
小さな島をくるっとさんご礁が囲み、陸地はどこを見ても緑。
集落が見えません。
町らしきものも、ホテルらしきものもありません。
まっすぐに続く道は見えても、車も走っていないし、人影も見えません。




ハワイに比べればグアムやサイパンは都市化していなくて、素朴です。
テニアンはもっともっと素朴でした。
だからこその時間の止まった場所なのでしょうが、
あまりに素朴すぎて、なんにもありませんでした。

空港から10分足らずでホテルに到着。
こんな素朴な島に不似合いの大きなホテルです。
この中でリゾートせよ、ということなのでしょう。

さっそく海に出てみようとホテルを出ました。
ドアボーイの姿を最後に、どこを見回しても、どこまで歩いても、人影はありませんでした。
スコールが通り過ぎた後のむせ返るような緑の匂いと、
日本の磯の匂いとは違う甘い海の香りが風にのって鼻をくすぐります。



道路を渡るとタガビーチという美しい浜に出ました。
青い海と真っ白な砂。
この日は南の太陽がかっと照りつける、という天気ではなく、
優しげな青い色にスコールを呼ぶ雲が風に乗ってぐんぐん飛ぶ、そんな空でした。

海と緑と太陽は確かにありました。
それだけで充分だったはずなのに、
何もなさ過ぎて、これでは海から鮫があがってきて喰われても、
亀を助けて竜宮上に招待されても、
人間せんせいが忽然と消えても、誰一人気がつきません。



若く、美しい女性がたった一人でその豊満な肢体をさらすには・・・・、
え? は?
若く、美しい女性が豊満な肢体をさらす・・・・、
おぉ~、何度打ってもキーが勝手に・・・・。

いや、冗談はさておき、
いくら、とうがたって、美しくなく、鶏がらのような姿でも、
やっぱりひとっこ一人いないビーチに、たった一人転がっている勇気が出ませんでした。
Tシャツを脱ぐこともなく、しばらく足をぬらして一人で遊び、
翌日からの活動を練り直しました。

そして結局、のんびり寝るはずが、父と一緒に朝早く起きてサイパン島まで飛行機で渡り、
何度か来て知っているサイパンのホテルのビーチで、転がったのでした。

それなら、なんでわざわざテニアンよぉ~~?
毎日サイパン島まで往復しても、テニアン島に宿泊する理由が、
父を始めとするおじさんツアーには、あったのです。





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2003.03.23 
テニアン島に渡るには、サイパンから小型の飛行機に乗り換えます。




6人乗りの小型飛行機は、いっぱいの計器がすぐ目の前に見えます。
初めて気がつきましたが、足元には車のアクセルのようなペダルもあるし、
シートの脇にはサイドブレーキのような、引くレバーがついていました。




駐機地から滑走路に向かうまでは、大型飛行機のようにのろのろ走ることなく、
まるで車の運転のようにぶんぶん走ります。
滑走路に出るカーブも止まらず、スピードも落とさず、ぐいぐいいきます。
そして、滑走路を離陸する直前までドアは半開き。
体重によって座席が決まりますが、パイロットの隣りに座った人はさぞ怖かったことでしょう。

機体が壊れないかなと思うほどぶるぶる震えて飛び立ち、
遊園地の乗り物のように、頼りなくあっちこっちに揺れます。
雲に向かってぐんぐん高く飛び、眼下にはサイパン島の美しい緑が、
そして、紺碧の海の向こうにはテニアン島の緑がうっすらと見えます。

日本のTVドラマではキムタクが空を飛んでいます。
テニアンのキムタクはおばあさんでした。
身体が小さくしわしわなのに、きりりと操縦する姿はやっぱりかっこいいです。





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2003.03.22 
朝から飛行機でサイパン島に渡り、
ゴルフにしろ、ビーチにしろ、ショッピングにしろ、
そこで一日を過ごし、また飛行機でテニアン島に帰ってくる・・・、
サイパン島にももちろんホテルはいっぱいあるのに、
なんでこんなツアーになったかというと、テニアン島のこのホテルにはカジノがあるのです。
おじさんたちは、飛行機代を毎日往復支払っても、ここに戻ってきて、
夜な夜なカジノにふけるわけです。

さて、昼にはゴルフを満喫し、夜にはカジノができるとあっては、
父がひとりでもうきうきとツアーに参加するはずです。
人間せんせいは、じゃんけんでさえも負けるので賭け事はしませんが、
食事の後、父がブラックジャックをするのを隣りで少し見ていました。

さすがに世界中のカジノに出入りした人のことはあります。
勝つ波をつかまえて、どんどん強気で張っていき、
チップはおもしろいように山になって行きます。
人間せんせいは所詮小物でしかなく、
小口で儲けたら、そのままもうやめればいいのに、と思ってしまいます。
ディーラーが負け続け、違う人と交代しました。
次のディーラーはとても強く、最初のうち按配をうかがっている父は、
おとなしく引くものの、やっぱり負けるようになってきました。

そうなると、どきどきしてもうそばで見ていられません。
『先に部屋に帰っているね。』
父を残して部屋に戻り、本を読んでいるうちに寝てしまいました。

ところが、その晩・・・!


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2003.03.21 
子供のころ、父が夜中に帰ってきて、
「おい、起きろ。あのな、きょうな、こうで、こうで、こんなことがあって・・。」
と寝ている子供たちの前で大きな声でわいわいやるのが、嫌で嫌でたまりませんでした。
女の子はだんだんに父親を毛嫌いするようになる時期もあるようですが、
人間せんせいもそうでした。

酔っ払った姿、見るのも嫌。
偉そうな態度、側に行きたくない。
おならをし、げっぷをし、歯をしぃしぃやって、おぉ~嫌だ。
車が止まり「ご苦労さん。明日またよろしく。」と運転手さんに言うだみ声が聞こえると、
父が帰ってきた合図です。
そうするとなるべく顔をあわせないように、そそくさと自分の部屋に上がってしまいました。

親がかけてくれている愛情がこの上なくうざったく、
世の中を一生懸命に生きている姿がかっこ悪い、などと好き勝手に批判し、
ただのわがままで甘ったれでしかなかった自分が、
父や母に感謝をし、たまらなく愛しいと思えるようになったのは、いつからでしょうか。

さてさて、本を読みながらいつのまにか寝てしまった人間せんせいですが、
夜中の1時に父が部屋に帰ってきて、「おいっ、起きろ。」と始まったときに、
一瞬子供のころに戻った錯覚をし、次になんだか泣きたくなりました。
別の家に住んでいる今では、こうやって旅行を共にしなければもう聞けない台詞でした。

カジノでは飲み物を片手にゲームをすることができるので、
父はブランデーをちびちびやりながら遊んだのでしょう、もう、できあがっていました。
そして、ポケットから出したチップは、1925ドルありました。
父が生まれた西暦と同じになったのでやめてきたそうです。
およそ25万円の儲け。

ディーラーにあげたチップも1000ドルくらいあったそうなので、
おやおや、今回も充分おつりが来る、るんるん博打だったようです。

ふぅ~~ん。だからやめられないんだわねぇ。
こりゃぁ、明日、何かねだろうかな。
ご機嫌で戦況を語る酔っ払い親父と、
いい歳をして親のすねをかじろうと目論むしょうもない娘との夜は、
こうして更けていったのでした。





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2003.03.20 
英語勉強中の父は、今回は自分でしゃべるからお前は黙っていろと言いました。
日本の航空会社の機内で、日本語で話しかけられても、
「ア、ア、アイ、ウォント、ビア、プリーズっ !! 」などと力いっぱい答えます。

ホテルに着いて冷蔵庫から飲み物を出そうとしたら、ロックされていました。
「冷蔵庫ってなんていうんだ?」
『fridge で通じると思うよ。』
父は胸を張ってさっそく電話を取り、フロントに
「メ、メ、メイ、アイ、フリッジ・・・」
おぃおぃ~!

・・・してもいいですか、というのが May I ・・・だということは知っているようですが、
使い方がめちゃくちゃです。
ここらへんが物怖じせずにしゃべることができるようになる秘訣かもしれませんが、
いつまでたっても通じない英語になる可能性も大です。

最後の晩、カジノはもういいらしく、父はマッサージに行こうと言いました。
人間せんせいは、初めてのものには、どちらかというとしり込みをするのですが、
姉の話ではとても心地よいものらしいので、父も一緒だし、やってみることにしました。

受付で父が交渉し、どうやら通じたようで中へ案内されました。
薄暗い通路を歩く間に、父は案内の人となにやら話をし、
「ノー、ノー、 ワン、ルームッ ! 」などと答えていました。

通された部屋には2つベッドがあり、そこで下着になれといいます。
え・・・、うっそ! 親父の前でぇ~?

この人はダンナじゃないっ、友達でもないっ!
私の父親なのだよ!!
親父の前で裸になれってか?

慌てて抗議し、よくよく聞くと、
案内の人は、別々の部屋がいいですか、ひとつの部屋がいいですか、と聞き、
父がそこで「ワン、ルーム。」と答えていたのです。
separate を several と聞き間違え、
5人部屋では嫌だから個室にしてくれと言ったつもりだったようです。

あぶねぇ、あぶねぇ。
このおっさんに任せておいたら、セミヌードを露呈させられるところだった・・・!

姉に聞いていたような、オイルを塗ってやわらかくうっとりマッサージと思っていたら、
身体のつぼをぎゅうぎゅう押す、整体マッサージでしたが、
それはそれで心地よいものでした。

マッサージが終わり、施術してくれた女の子が、
「Massage OK ? 」と恥ずかしそうに聞いたので、
着替えながら、とっても心地よかったよ、ありがとう、と言いました。
女の子はにっこり笑いましたが、また同じ台詞を、今度はもっと小さな声で言いました。
人間せんせいもBGMのせいで聞こえなかったのかと、同じ台詞を言いました。
3度目になって彼女は少し大きな声で憮然と言いました。
「Massage tip OK ? 」

考えてみればそうなのですが、チップのことを忘れていました。
ところが、任せておけと父に言われた人間せんせいは、
部屋からお財布を持って出ませんでした。
どっひゃぁ~!どないしょ・・・。
separate room にした不具合が汗と一緒にたらぁ~っと出ました。

父親と一緒に来たのでお財布をここには持って来ていないこと、
あとで父が払ってくれるから、とあせって説明をしましたが、
彼女は半信半疑の顔をしました。

父に任せてのほほ~んとしてると、大きな恥をかきます。
でも、施術はいかがでしたか? と日本なら聞かれることだろうと先入観を入れて聞き取り、
日本にはないチップを想像だにせず聞き逃したのでは、
人間せんせいのリスニングにも大いに問題あり、ということです。


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2003.03.19 
テニアン島は北マリアナ諸島に属する14の島のうちのひとつです。
北マリアナ諸島というのはアメリカ合衆国の一部ですが、
グアム島はアメリカ自治属領(準州)、
グアムを除くほかの島はアメリカ自治領になっています。
自治領というのは、国籍、外交、防衛、医療、教育システムなどはアメリカの法律下にありますが、
そのほかは独自の自治をとっており、
アメリカの国でありながら、独立国のような形態をとっています。
北マリアナ連邦TOPのGovernor(知事)に最高の権力が与えられ、
いわば小さな大統領のようなポストなのだそうです。

先住民はチャモロ人ですが、16世紀にスペイン探検隊に発見され、
スペイン統治時代には住民の98%もが虐殺されて、
10万人が2000人ほどにまで減ってしまったそうです。
米西戦争でスペインが敗北した後は、
グアムはアメリカの占領下に、そのほかのマリアナ諸島の多くがドイツに割譲されました。
このときにも多くの紛争、虐殺が行われたようです。

第一次世界大戦後、日本が占領し、
そして第二次世界大戦では、このあたりの島々はアメリカとの戦場になり、
サイパンではアメリカ日本双方で5万人近くの人が死んだとも言われています。
各島はつぎつぎと激しい戦場となってアメリカ軍が日本軍を玉砕、
原子爆弾を積んで、テニアン島から広島や長崎に向かってB29が飛び立ちました。

確かに、原爆は悲しい戦争を終わらせた結果にもなり、
その日からここの島々には平和が訪れたことになるのですが、
欲や権力に駆られた争いというのは、なんと多くの血を流さなければ終わらないのでしょう。
真っ青な空の下で、焼け野原になった地に呆然とたたずむ人々が目に浮かぶようです。

こうやって長い長い歴史の流れから見れば、愚かしいことは明白なのに、
それでも、いまなお、人間は砂漠の地で同じことを繰り返しています。

グアムもサイパンもテニアンも、戦争の爪あとが今でもあちこちに残っています。
この地が愚かしく悲しい血をいっぱい吸っても、
海や緑はそれらを覆いつくすように、あくまでもきれいなままここにあります。

 人間ってばかだよねぇ・・・。
 許しあい、愛し合い、お互いを抱きとめていければ、
 いつまでもこうやってきれいでいられるんだよ・・・。
 ほら、私たちはこうやって人間の愚かさを、それでも許して抱きとめているから、
 いつまでたっても美しさを失わないでしょう?

打ち寄せては返す波が、そう教えてくれているように感じます。



おまけ。

ところで、ゴルフトーナメントでは、父は「ガバナーズ杯」をいただきました。
日本で言えば総理大臣賞ということになりますが、
最高年齢参加者だったということも判明し、
本人はまだまだ若いつもりでいたのに、
うれしいのはもちろんですが、なんだか複雑な心境でもあるようです。

北マリアナの旗にも描かれているラッテストーンの木製カップをどっこいしょと担ぎ、
ポケットはカジノでの戦利金がふくれ、父もご機嫌。
なにかとすねをかじって、滞在費がほとんどかからなかった人間せんせいもご機嫌。

今回は父と二人での初めての旅でした。
わがままを言い、困らせた年月は気が遠くなるほど長いですが、
これから少しでも長く、優しい時間が持てますように・・・。

そしてテニアンは自転車でぐるっと回れるほどの小さな島なので、
今度はカジノやゴルフに明け暮れる人ではなく、
一緒に海に入れる人と、ゆっくりもう一度訪れたいと思いました。




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2003.03.18 
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