今回、病気の発見から治療までの間に
いくつかの分岐点がありました。
テレビ番組で言えば、CHOICEってやつです。

健康診断で左胸の再検査となり、乳腺外科のあるクリニックに行きました。
そこでマンモグラフィーを撮った結果、
大きな病院での生検した方がいいとなったのですが、
さて、次の病院選びで、CHOICE です。

交通の便から3つの候補のうち、市民医療センターを選びました。
というか、他の2つ、赤十字病院と大学病院はあまりにも古くて、
最新機器などどうなの・・?と勝手に思ってしまったからです。

調べもしないで簡単にそう思ってしまったのは、
生検をしてもまさか
「ぽん」などという病名が自分に降りかかるとは思ってもいなかったからです。

子どもの頃から丈夫で、麻疹やおたふくかぜもごくごく軽く済み、
怪我の治りも早く、受験日以外は学校も皆勤。
現在に至るまで風邪も数えるほどしか殆ど引いたことがなく、
平熱も高いので、きっと免疫力もあるのだと思っていました。

また、結婚以来ずっと自然食品屋さんで食材を注文購入し、
もちろん、外食もしますが、
基本的には身体に良いものが積みあがっているつもりでいました。

だから、健康診断でいつも、胃潰瘍痕を除けばみんな「A」の判断。
骨密度も筋肉量も年齢よりもずっと優良で、
もりもり食べるわけではなく、身体も小さいけれど、
健康なんだと、どこかで思い込んでいました。

それで、詳しく検査しても、
結局何でもなかった、とか、そんなだろうと高をくくっていたのです。

そんな理由でよく調べもせずに2番目の病院を選びましたが、
最初に細胞を採って調べ、左に「良性」の結果が出た後にも、
「良性」が「悪性」に変わることはないとはいえ、
右胸の経過観察で通院が続いたのですから、
左もついでにたまには診てくださいと不安がるべきでした。

また、この病院の担当医は
「紹介元のクリニックに結果を報告しておきますよ。」と言いましたが、
さぁ、それが完了していたのかどうか・・・・?
気の毒なほど、お医者様は忙しいのでね。

というのは、
結局右を手術となり、再建手術の病院選びのアドバイスをいただこうと
1年ぶりにクリニックを訪れたときに、
「え・・・左はまだ手術していないんですか!?
 良性?? 私は一目で悪性だと思いましたよ。」と言われたのです。
そう診立てたのなら、良性と報告を受けたときに納得がいったでしょうか?

もし、クリニックの花子先生が最初から
「私は悪いものだと診ました。」とはっきり言ってくださったら、
「良性」ですと次の病院の一郎先生に言われたときに
人間せんせいもまだ不安で疑ったかもしれないし、
この時点でセカンドオピニオンを求めたかもしれません。

いや・・・
期待を込めて、花子先生の診立てが間違っていたのだと、
やっぱり思ってしまったかも・・・

そしてもうひとつ。

生検を受けなさいと言われたときに、
生検とはどういうものなのかをちゃんと調べるべきでした。
または、患者は知識がありませんから、
「乳腺外科専門医のいる病院」とか
「マンモトーム検査をしてもらいなさい」とか、
具体的に教えてくださってくれればなぁと、今は思ったりもします。

再建手術を検討しましたので、
形成外科のある3番目の病院で手術を受けることになったのですが、
専門医がいてマンモトーム検査ができる、
それは、最初に候補から外した古~~い病院でした。

結果として、良い病院だったし、早期治療だったはずだし、
別に悔いたりすることもないのですが、
最初のCHOICE が変わっていたら、
もう数か月早く治療を始められただろうと思います。
同じかもしれないけれど、
でも、もしかしたら、左もステージ0の状態だったかも・・・なんてね。

ひとえに、自分の不勉強と楽観視していた結果であります。
お医者様と無知の患者との認識にギャップがあり、
人にもよるでしょうが、お医者様の親切は、
患者が望むような形でとは限らない。
そういうことが、お医者との相性などと言われるのかもしれません。

自分の不勉強を棚に上げていうと、
お医者様方がもう一歩踏み込んでくださっていたらと思うこともありますが、
彼らにすれば、何十人、何百人の患者のうちの一人、
ただ待っているだけでお医者が何でもしてくれるわけではないのです。

特に、誰が見ても間違いない、というようなわかりやすいケースなら
どんなお医者様でも断言しやすいでしょうが、
経過観察というのは、判断がつかないというだけであって、
心配ないとされたわけではないのですから。

自分の身体は自分で守らなくてはなりません。


2016.10.03 
実はだいぶ端折って書いています。

へ・・・? 充分長いですけど・・・

いえ、病気や治療に関することだけで、
入院中のへぇ~とかほぉ~とか、
諸々の面白い感想は端折っているのです。
そのくらい、興味深く、
誰彼にも話したいことはいっぱいあるのですが、
もう4か月も経った現状までちゃっちゃと記録を進めなくてはなりません。

そう、ちゃっちゃと。
こんな事書いてないで・・・

では

お医者様方は丁寧に術後の診察をしてくださり、
看護師さん達は至れり尽くせり、
同じ病室の「ぽん友」もできて、
あまりの快適さにこのままここにいついてもいいような錯覚に陥りましたが、
1週間経ち、ドレーンが抜けて、人間せんせいは退院しました。

にこにこ元気に退院し、その日の午後には友達に会い、
翌朝は2キロ歩き、午後運転して実家へ行き、
その次の日には電車に乗って、用事を済ませ、
更にその次の日には仕事に復帰しました。

ところが、です。
おかしなことに、退院後になってから実は大変な日々が待っていました。

胸が・・・両胸なので胸部全体に、なんか鉄板でも入っている感じ。
ふくよかな胸の人なら谷間ができる辺りは、
人間せんせいは元々肉がなくて、あばらが段々に見えていましたが、
つまり、手術前から胸部は柔らかい感じではなく、
硬い感じではありましたが、
それが内部も硬い板が入ってパキンパキンしている感じです。
え・・・、車をバックさせるのに後ろに振り向けない・・・!
上半身だけをねじれないので、腰ごと後ろを向きました。

更に、翌日から腋が痛くなってきました。
あれれ・・・入院中は何も痛くなかったのに・・・

調べてみると、リンパ節の検査をすると、
ここら辺の神経を傷つけるとかで、
その神経が新しく伸び始めるとぴりぴりするらしいのです。

あぁ、そうか。

術後何も痛くなかったのは、
神経もざっくり取ったので、感じなかった、
それが1週間経ち少し回復し始めると痛くなってきた・・・ということのようです。

そして、それまで全く気づきませんでしたが、
腕が上へ伸びません!! わわわっ!

さて、ここから人間せんせいのリハビリが始まりました。

毎日冷蔵庫に向かって鼻をくっつけ、
両手をカエルのように顔の横において、
その手のひらを段々に上へ伸ばしていきます。
ほんのちょっとずつしか動かすことはできませんでした。
そして、リハビリとは、やっぱり痛いものであります。
キッチンに立つときには冷蔵庫に、
部屋を出入りするときにはドアに、
手をくっつけて上までゆっくりと伸ばします。うううう。
テレビを見るときにも時々おいっちにと。うううう。

腕は多分、2、3週間で回復してきましたが、
腋の痛みには随分と長い間悩まされました。
3ヶ月強、9月に入ってやっと忘れるくらい、
夏の間中、クリームを塗ってみたり、シッカロールをはたいてみたり。
一番困ったのは、何を着ても袖付けのヘムの部分が当たって痛い、
タンクトップでも腋のくりのヘムがダメで、
みんなザクザクヘムを切り取ってしまいました。

皮膚が傷んでいるわけではありませんが、
海で日焼けした後に服がすれてひりひりと痛い、
その感覚に似ています。

家にいるときにはザクザク切ったタンクトップ、
外へは袖がぴらぴらしている、
柔らかいテロテロした生地のシャツやブラウス、
腋に触らないようなものに限られてしまいました。
袖が大きく開いているようなデザインでも、
麻素材のものはダメでした。

9月が終わり、今はどうかというと、
腕はエクササイズするように勢いつけて上げても大丈夫♪
腋は、長そでを着ても殆ど痛みはありません。
胸の方は鉄板が段々と小さくなってきた、
つまり、鈍いものの、感覚が少しずつ戻ってきているようです。
時々ぴりっと電気が走ったようになるのは、
やっぱり神経が回復している途上なのでしょう。

お医者様によると、人間せんせいの回復は早く、
ほぉ~、もうそんなに戻りましたかと、ほめられますが、
なんと、元通りになるには年単位でかかるそうです。げげげ~っ!

さて、ついでにいうと、
ざっくり切った傷口ですが、
怒った顔のように逆のハの字に13センチほど。
今ではベージュ色ほどに薄まってきました。

手術直後は傷口をガムテープのように幅広に貼ってありましたが、
3日後位にフランケンシュタインのように
ピッピッピと垂直に小さいテープで貼り直してくれました。
それは乾いてはがれるまで1週間ほどそのままで、
はがれたらもう傷はくっついていました。
不思議なことに、術後から一度も血がにじむこともありませんでした。

不思議だよねぇ~。
ざっくり、ぱっくり、でしょ。
なのにねぇ~~。

いい感じにぺったんこです。
人間せんせいは割り合い気に入っています。
ちょうどTシャツを着る季節だったので、
背がもっと高かったら、もっと若かったら少年ぽくなっていい感じ♪
背も低くて、歳もとっているから・・・おじさんぽいというのか?

2016.10.02 
「お帰り・・・」
耳元で囁く夫・貫太郎の声で、人間せんせいは意識が戻りました。
驚いたことに、すでに病室に戻っていました。

手術が終わり、麻酔器具を外され、名前など呼ばれて返事をし、
正常に醒めたと判断されて病室に戻ったのでしょうが、
それらの記憶はありません。

素晴らしきかな、全身麻酔。
酸素マスクがずれているとさっきストレッチャーの上で騒いだはずが
もうすべてが済んで病室です。
華岡青洲先生と奥様お姑様に、感謝感激雨あられです。

麻酔は口に器具を装着して気管から行うそうですが、
そのせいでしょう、喉がカサカサでした。
貫太郎と二言三言話してすぐまた眠りに落ちました。

翌朝は、まだ点滴につながれカテーテルが入っていたので
朝食はベッドまで運んでもらいましたが、
午前中にカテーテルが外れるともう自由~~♪
お昼ご飯は自分で取りに行き、
手術から24時間経たないうちにふらふら歩きまわって、
お見舞いに来てくれた友人とラウンジでおしゃべりもしました。

同じ日に手術をしたあとの2人も同じように元気で、
「不思議よね、どこも痛くない・・・」と
3人で想像以上に早い回復を喜びました。

どこも、ひとつも痛いところはなく、記憶もなく、
本当に手術は行われたのだろうかと半信半疑の感覚、
でも、胸に手をやるとごっそり削れてて、
そっか、夢じゃないんだ・・・といちいち確認するほどでした。

腋の下方、肋骨の下辺りに小さな穴があり、
そこからチューブが出てて、先にパックがぶら下がっていました。
切ったところから血液や体液などが出るそうで、
パックの中身が一日に50cc以下になったら
このドレーンは抜けて退院できるそうです。
いえ、ドレーンごと今すぐに退院してもいいそうでしたが、
のんびり安静にするためにみなさん1週間程は入院するそうです。

翌日から朝起きると東側へ行って朝陽を窓越しに浴び、
朝食まで缶コーヒーを飲みながら文庫本を読み、
朝ご飯と昼ご飯の後には、
第一病棟、第二病棟、第三病棟、外来の建物、病院中の階段を
一番上まで行って降りてきて、地下で一日分のお茶、
ペットボトル3本を右手に持ち、左手に持ち替え、
退院してからすぐに仕事に復帰できるように動き回りました。

でも、どこも何にも痛くないので、リハビリをしている感覚はなく、
ふらふらと散歩をしている気分です。
仕事も家事もしないで、ゆっくり本が読め、
大好きなナンプレも次々制覇し、
友達とおしゃべりをしてお見舞いのケーキを食べ、
そんなこと1週間もして、
私、本当に病人なのかなぁ・・・???


手術前から、なんの症状もなく、
ただ、ひとが聞けばどう返事をすればいいかわからないというような、
深刻らしい病気を得た、でも、らしい、だけで、
本人にその自覚が最初からあまりないのは、
この特異な性格のせいなのでしょうか?


さて、手術後の病理検査で、
みっちゃんはステージ0、
最初に言われたように切除をもって治療は終了。
ところが、さっちゃんは、なんとほんの一部浸潤が始まっており、
ステージは1になっていました。
前の病院で一郎先生が「良性」と診断した方です。
良性が悪性に変わることはないと、
一郎先生はその後1年近く、一度も診ませんでした。
一郎先生のばか!

みっちゃんとさっちゃんとでは、病変の性格が違うようで、
みっちゃんの方はおとなしい性格、乳管の中に引きこもったまま。
さっちゃんの方は、それよりも活発で、
しかも、マンモには映るのに
エコーでは見つけるのにコツがいるようなところに隠れているらしく、
悪党の性格を持っているようです。
こいつの方はすぐに退治しなくてななりません。

リンパ腺には関所のようないくつかの節があり、
乳ぽんがリンパヘ転移するには必ず通る場所があるそうです。
それで、切除手術の際にはその第一節を採って検査をし、
そこをぽん細胞がすでに通過していれば第二節を検査というように
通った細胞の後を追いかけていくつか節を検査するそうです。
この追跡のために、手術当日の痛い注射で造影剤を入れたのでしょう。

で、人間せんせいのは最初の第一節を調べたら
通過していないのでリンパヘの転移はなし、ということです。

さっちゃんもステージが0のままだったら、
ぽん細胞は乳管の中だけにひきこもっているので、
乳管を切除してしまえばこれでひとまず終わり、だったのに、
やんちゃな奴が家のドアを開けてふらふら歩き回ると、
それがまた別の場所に棲みついたりしたら
新たなぽんの発生ということになってしまいます。
さっちゃんのは、ドアを開けた奴がほんの少しいるよということなので、
奴らのえさになる女性ホルモンを取り上げて餓死させてしまおうと、
人間せんせいは女性ホルモンを作らないようにするお薬を飲みます。


2016.09.29 
おばあちゃんのことやねこ隊のこと、
書くことは山ほどあれど、なかなか時間が取れません。
これからもっとできなくなりそうなので、
ほんの少しずつでも、まずは病気のその後について記録しておきましょう。

初めてのことはたいていわくわくどきどきします。
そして、後には学ぶことがたくさんのお土産になります。

世の中には難しい病気と向き合い、
日々一生懸命に戦っている方々がたくさんいて、
人間せんせいにとっての初めての大きな病気、初めての入院・手術を、
冒険などと感じるのは、不謹慎なことかもしれませんが、
このへらへらした性格がもたらすごく個人的な感想として記録します。

さて、もう3か月も経ってしまいましたが、手術の前日から。
え・・・そこから書くのかい?
そりゃそうです。
記録ですから。

病気のことはお医者様にお任せするしかありませんから、
たいして不安もなく、旅行へでも行くような気軽さで前日に入院しました。

着いたそうそう、真昼間からパジャマに着替えるなど違和感満載でしたが、
手術前には説明を受けたり、口腔外科検診があったり、入浴したり、
患部にマーカーで印をつけたり、けっこうバタバタ。

エコーで診ながら患部にマーカーをつけるのですが、
「この症例はテストに出る典型的なもの、間違えやすいからよく見るように。」とか、
「この角度からのアプローチだと見つからないが、
ここからだと・・・・ほら、見つかった。」
「際の良性との判断が難しい。」などと、
若い先生もみなさん勢ぞろいで、部長先生がご講義。
見えているのはモニターの画像であって、
患者はそこにはいないようなやりとりでした。

いいのいいの。
これからの医療を支える先生方のお役に立てるなら、
右胸みっちゃんも左胸さっちゃんも本望でありましょう。

そのあと、手術の方を記したカードとともに顔写真を撮ります。
手術部位や患者そのものを取り違えないように。
人間せんせいは右と左、2枚のカードを持ちました。
う・・・囚人のようだ・・・そう、冗談で言えるほどの感情、
不思議なくらい不安も緊張も恐怖も悲しさもありません。

そうこうしているうちにもう夕食、
そして就寝準備をしているうちにもう9時の消灯。
いつもならまだ仕事をしている時間です。


この病院の乳腺外科では週に2回の手術日、
1日に3人、週に6人、年間で300人の手術症例があります。

手術当日は朝いちに患部に注射を打ちます。
特殊な染料が体内に広がり造影剤となって撮影されるそうで、
今回の入院・手術治療の中でこれが一番痛いのだとか。

そう、これがほんと、半端なく痛い~~っ
しかも、みっちゃんとさっちゃん、
人間せんせいは人の倍です。ううううう。

人間せんせいはこの日3人目の手術、14時予定でした。
手術中の脱水を防ぐため、
また、どのくらいの水分が体内に入っているかで麻酔に影響があるとかで、
前夜から水分を管理されていました。
19時から21時までに500ml
起床時から7時までに250ml
7時から11時までに750ml
言われたとおり、ちゃんと飲み切り、準備万端。

手術着は肩にスナップがあり、ベッドに寝ると
上だけ取るとか下だけとかできるようになっています。
けっこう厚手の、ぞろっと足首まで長い術着を着て、
14時まわってから自分の足で病室を出て手術室に向かいました。

直通のエレベーターのドアが開くと、
ホテルの出迎えのように、数人のスタッフが並んでいました。
すぐに車いすに座らされ準備室とやらに連れていかれます。
初めての冒険ではありますが、後にトラウマになるのも嫌なので、
目をつぶって手術室の様子は見ないでおきました。

車いすから自分でストレッチャーに乗り、
毛布を掛けられた下で、術着の上半分が取られて
酸素マスクがかけられました。
ところが、酸素マスク、人間せんせいの鼻から少しずれています。
麻酔が漏れて効かなかったら大変!!

『ずれてます!ずれてます!』と騒いだら、
「これは適当でいいんですよ~」だって。

と、記憶はここまで。

どこからやって来たのか、
鼻からか、腕の点滴からか、わかりませんが、
どこかから麻酔がやって来て、人間せんせいは眠りに落ちました。


ところで、
手術日には患者3人を執刀だそうですが、
予定ではひとり1時間半くらい、
30分おいて次の人、また1時間半くらい。
人間せんせいの場合は両胸なので、2時間半の予定でした。
切ったり貼ったり、患部は計4つなわけで、
両胸の患者が続けば、計6つなんて場合も?
それって、お医者様のお手当はどうなるのでしょう?
2倍かな?

お医者様方、病理検査の方々、
2倍もお手数をおかけしました。








2016.09.26 
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「来週は仕事が忙しくて来られないので、再来週、また来るね。」

実家の両親は90歳を超えましたが、二人だけで住み、
おかげさまで週に2度3度ゲートボールを楽しめるほど元気です。
兄弟やその奥さん、人間せんせいも週に一度顔を見に寄り、
夕ご飯の支度や家事を手伝います。

しかし、いくら元気でも、
また、人間せんせいの病気が超早期であっても、
この病名にはかなりのインパクトがあり、
娘の病名を聞いただけで高齢者の健康を害するかもしれないと、
入院を前に、人間せんせいは彼らにウソを言い、兄弟にも口止めをしました。

やはり永六輔さんが前に言われたとおり、
「癌はガンという響きがいけない、ポンと変えれば恐怖は随分と減るだろう。」
というのを是非に採用したいと思います。

人間せんせいの病名は「非浸潤性乳管ポン」であります。
これであれば、多分、人間せんせいは親に嘘などつかずに済んだことでしょう。
「乳管ポンってなぁに?」
『え、知らないの? 近ごろ増えているらしいけれど手術で取っちゃえば終わりよ。』

近頃急に増えたのではなく、検査機器の精度があがったために、
自己判断は勿論、
お医者の触診でもわからないようなものでも早期で発見されるようになった、
それはそれでありがたいのですが、
ざっくり切るらしい、傷は大きく残るらしい、という所がげげげ~~!な心境です。

最初から切れば完治と聞いているせいか、不思議と恐怖や不安はなく、
休む間の仕事の段取りが面倒くさいとか、留守をする手当てが煩雑でとか、
痛いとか傷が残るとか、ジムや銭湯にいつになったら行けるのかとか、
当分重いものは持てるのか、たくさんの教材を抱えて仕事に行けるのかとか、
そういうことに、げげげ~~!と表現するのがぴったりで、
症状も何もないので病気の気がせず、ショックも何も受けてはいません。
多分、病名を聞いた友人や兄弟の方がショッキングな様子です。
だから、やっぱり、ガンはポンと改名した方が良いと思います。

元々乳ポンはゆっくりと進むものが多く、
だから、完治まで5年ではなく、10年をみていくそうですが、
同じような性格の前立腺ポンも、以前は手術が薦められたのに、
今では監察措置がとられることが増えてきました。

予防予防と叫ばれ、マンモグラフィーが広く受け入れられ、
せっかくDCISの状態で早くに見つかるようになってきたのだから、
その先の治療がもう少しきめ細かい方法で進歩していけばいいのにと思います。

当面生きていくのに大きな差しさわりがない臓器と考えられるから、
根こそぎ摘出してしまえば命にかかわることはない、
それは確実ではありますが、乱暴と言えば乱暴。
勿論、部分切除も内視鏡切除も選択できますが、それなりに不安材料もあります。
ここまで医療が発達したのだから、きっと、もうあと一歩。

取りゃぁいい、という治療から、
非浸潤は非浸潤のままで転移せずにずっとおさめさせるような
そんな技術や薬剤の進歩が待たれるところです。


病院の待合室には若い女性が多くて、
たまたまその日に遭遇した人たちを見回すと、
人間せんせいよりも年上そうな人は少ない気がします。
それが全部乳ポンではないでしょうが、
親御さんも付き添い深刻そうな面持ちで
若い人が診察室から出て来られると、胸が痛みます。

人間せんせいはもうずいぶんとおばさんだからいいけれど、
若い人たちには少しでも早く朗報が届きますように。




割と今はげげげ~くらいの思いで手術に臨む人間せんせい、
果たして、1週間後、手術後にはどんな感想になっているでしょうか?


『1週間で退院できて、いつごろから車の運転できますか?』と看護師さんに尋ねました。
「リンパも取らないし、すぐにできますよ。」
おっ♪ 仕事はすぐにも再開できそうだ♪

また、二郎先生は、
「体調が良ければ翌日に退院しても良いですよ。」とも。
とはいえ、病院で安静にするか家で安静にするか、なので、
やっぱり少しは置いてもらいましょう。

では、手術前の記録はこれでおしまい。

2016.05.20 



3月の診断から今まで、けっこうな日にちがあり、
出口は見えてきたとはいえ、色々と考えます。

皮肉というのか、因果応報というのか、
やっぱり避けては通れなかった人生というのか・・・・

私は、本当は、女性性というものをひどく重たく感じていました。
女性だから求められることにうんざりすることもありました。

もちろん、それは男性性でも同じで、
男性だから求められることの重さにうんざり、という場合もあるでしょう。

だから、女性に生まれたことの不自由さを自分で感じていても、
かといって、では男性に生まれていたら解消されたのかというと、
やっぱりどこかで別の不自由さを感じたことでしょう。

また、この人生において、保留にしていたことが、
いつの間にか見て見ぬふりになっていました。
このまま一生、無視して人生を終わらせられるのかと思っていましたが、
この歳になって意識せざるを得ない状況になりました。

胸なんか、要らないはずでした。
病気になる以前から。

生身の自分、生身の人間、というものを嫌悪している所があり、
大人になるにつれ、生々しい現実、生身の自分に直面する事が苦痛で、
それは何に起因するのだろうとカウンセリングも受けたりしました。

それが、歳を取り、おばさんになったら、女性としての生身感が薄れて、
周りからもそう見られなくなることに安ど感を覚え、毎日が楽で、
何故自分はこうなのかという謎解きにもいつの間にか興味を無くしていました。

社会的位置づけにおいての女性の自分も不自由、
生き物としての、生身の自分も嫌悪。
そういうものはいつの間にかオブラートに包んで
すりガラスの向こうに追いやり見ないふりをしてきました。

とはいえ、年頃になればお化粧をし、
歳を重ねてほっぺが重力に負けるようになればため息をつき、
女性しか身に着けないパンプスやワンピースなどを新調して
ご機嫌になったりもするのですから、
反面、現実的にはちゃんと女性を生きてはきたのです。


生物が生きるための攻撃性や残虐性、
人間が頂点に立ったゆえの堕落や享楽、果てしない欲、
多分、この世の真実は生々しいものであり、
そういう生々しいことが、本来、生きる、生きているということなのでしょうが、
人間でも動物でもなく、男でも女でもなく、生も死もなく、感情もない、
何者でもない自分が、ファンタジーの中で生きるがごとく、
ふわふわとただ時間軸を漂っていけたらどんなにか良いでしょう。



胃がんでもなく大腸がんでもなく、なぜ乳がんなのだろう・・・?
こんな私なのに、
そうするのが当然のように胸の再建を希望したのはなぜだったろう・・・?


直視せずに逃げ続け、絵空事で弄ぶのではなく、
生身の人間である自分、女性の自分に対峙しなさいよというお告げなのかもしれません。
女性に特化した身体の部分を、さてどうしますか、という宿題なのかもしれません。

身体の左右のバランスとか、ジムで他人の目を気にするとか、
多分、そういった単純なことから派生した心持ちであり、
失う自分の身体への愛着とは違うし、ましてや女性としてという感情とも違う気がします。

それでも、検査、病気の診断、治療と、
まさしく生の肉体を直視せざるを得ないこの一年でした。
天が私にこの病気を与えたわけもそこにあるのかもしれません。

2016.05.16 
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3番目の病院で治療を受けましょうと決め、
もう一度マンモグラフィーの検査を受けました。
すると、前に一郎先生が良性と判断した「さっちゃん」の方を
何だか丁寧に検査していきます。

え・・・なになに・・・?
何か、嫌~な予感だよ。
まさかね・・・「さっちゃん」もだったら2つとも取っちゃって、
前が胸じゃなくて、背中になっちゃうじゃん・・・・

そして今度はマンモトームという、
マンモグラフィーと太い針で採る生検を組み合わせたような機器で、
正確な診断にもっていきます。
あわれ「さっちゃん」も「みっちゃん」と同じく、
麻酔後に切開され太い針でぐさぐさと・・・ううううう、痛いよぉ~~~。

結果は、そのまさか、でした。
「みっちゃん」に次いで「さっちゃん」にもDCISの診断が下りました。
良性が悪性に変わることはないので、
元々あった患部が最初の細い針ではピンポイントで採れなかったのでしょうと。
一郎先生のばか!

がぁ~ん!同時多発ゲリラのようだ。
天は我を見放した・・・・!

いや、あの時の八甲田山の兵隊さん達に比べれば・・・
たいしたことは・・・ない・・・
たいしたことは・・・・・えぇ~~ん!

こんな病名がついてても、今まで一度たりとも恐怖も不安も感じず、
凹むこともなかった人間せんせいでしたが、
さすがにこの日は、一度だけどんよりしてしまいました。

私、何か悪いことしたかなぁ・・・

街を行く人々は、景色は、いつもと同じなのに、
自分だけ今までとは違う、みんなとは違う、そんな気分。
あの人は癌じゃなくて、この人も癌じゃなくて、でも私は癌で・・・何でだろう?

あなたは間違っていたからこうなったのですよと、今までの生き方を否定されたようで、
この先どうやって生きて行ったらいいのか、
いや、絶望してというのではなく、
自分はどこが間違っていたのか、正しい生き方とはどういうものなのか、
それがわからなければ、この先の一歩が踏み出せません。

でもいつも能天気な人間せんせいのこと、
凹んだ気分はそう長くは持続しません。

だって、あやつらは、女性ホルモンを餌にして活動するんだから、
自分自身の生き方の問題ではありません。
何を食べたからこうなった、何をしなかったからこうなった、
そんな単純な事象ならばとっくに治療薬が見つかっているでしょう。

迷路はその場所をぐるぐるしてばかりでは出口にはたどり着きません。
違う方向からアプローチしてみると別の景色が見えてきます。

待てよ・・・

「さっちゃん」も「みっちゃん」もなくなるとすれば、
胸の再建は必要ないかもしれないよ。


「みっちゃん」がいなくなったら「さっちゃん」も寂しがるから・・・いやいや、
片方失うから、身体のバランスも悪くなるかもと思ったけれど、
まっ平ら、背中のようになってしまえば、
それはそれで身体のバランスは取れてるし、
本当は、走るにもエクササイズにも邪魔だったし。

病院を変わってまで色々考えてきた再建をどうするという案件は、
現段階において、決定事項からはすんなり外れました。
切除手術後に背中のようになった自分の胸を見てから、
再び手術をしてでも、人工のものでも、
それでもやっぱり胸が欲しいのかどうか、改めて自分に問うてみればいいのです。

出口へと続く道が、見えてきた気がしました。





2016.05.14 
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さて第二幕、第3場
大抵舞台演劇もこの辺からクライマックスに向けて面白くなっていきますが、
「さっちゃん」と「みっちゃん」劇場も、なかなか興味深い味わいになってきます。

セカンドオピニオンというのではなく、
つまり、人間せんせいはこの診断をすでに受け入れているのですが、
その後をどうするか、で、今までのデータをもって
同時再建を実施している、形成外科のある別の病院を訪ねました。

ひと口に再建と言っても、
切除手術と一緒にする一次一期、一次二期、
切除の後時間をおいてする二次一期、二次二期、
また、人工物を使う方法、自分の組織を使う方法と、
さて数学の問題、組み合わせはいくつになるでしょう。
というように、自分で調べて勉強するにもなかなか大変です。
また、どれも一長一短、当たり前ですが、
麻酔から覚めたらなかったことに、なんていう能天気なことにはなりません。

なぁ~~だ、そうなのか。
痛くて辛いのは嫌だし、
長く入院するのも仕事が困るし、
人工物が肉体的精神的に自分に合わなかったら嫌だし・・・・

二郎先生も一郎先生と同じように、
再建は後からゆっくり考え検討した方が良いですよとおっしゃいました。
そりゃね、大事なことだから時間のない中でバタバタと決める必要もないわね・・・

ところで、DCISは前がん状態であって、
まだ悪さをしていない、これからもしないかもしれないのに、
患者の人生を大きく変化させるものになる全摘出手術は過剰治療ではないか、
という見解もお医者によってはあるようです。

<低グレードの非浸潤性乳管がん>

つい、自分でもそれにすがろうとしている時もあります。
手術は本当に必要なのか?
しかも、全摘出なんて。
このまま放っておいてもこれで死ぬ確率は少ないんでしょとか。
例えば、10年後に寿命が尽きたとして、それは早死にではない年齢なのだし、とか。

お医者様を目の前にしてそんな不遜なことは言いませんでしたが、
二郎先生の方からおっしゃいました。
「あなたの場合ではね、病院によっても見解が違うと思います。
でも僕ら外科医は切って直すのが仕事です。
切って完全に治るものならば、不安の芽をもって過ごすよりも良いですよ。」

世の中も予防医療へシフトしつつあります。
病気が発見された時には重大なことになっているケースもたくさんあります。
また、いくら芽であっても、その後にどんどん悪さをする性格の悪いタイプの芽もあります。

性格や顔つきがよく、まだ悪さをしていないお行儀のよい芽であることを、
本当に必要な治療なの?と考えるのではなく、
今だから効果抜群なのだと、考えていこう。

そうだ。
癌を舐めちゃいけない。
こういう名前がついているということは、異物が増殖していくわけだから、
まだ悪さをしていないうちに村ごと焼き払うのだ~!おぉ~!

と、舞台演劇ならば勇壮な音楽と共に両こぶしを天高く突き上げ、
一気にクライマックスへと盛り上がっていくところです。

さぁ、人間せんせいも元気に治療にまっしぐら・・・・とはいかず・・・
またひと悶着、というか、ひと騒動というか、
最近の芝居や映画を反映するかのように、
「さっちゃん」「みっちゃん」劇場もまだひと波乱あるのでした。

2016.05.13 
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さて、第二幕の始まりです。
場面は医療センター、一郎先生がドヤ顔でDCISを告げたところです。

実は以前に見たTV番組で、乳がん患者さんが出演して言っていました。
『私の場合はしこりにならないタイプのもので、早期ですが全摘出、そして同時に再建したので、
麻酔から目が覚めた時には以前と変わらず胸がありました。』と。
その頃人間せんせいは経過観察中でしたが、
しこりではない自分のものも、これかもしれないな・・・と思っていました。

同時再建か・・・

その出演者の時には保険適用ではなかったので100万円ほどかかったそうですが、
今は保険が適用されます。
ということは、それを選択する人が多いということでしょうか。

シリコン挿入とはいえ、
麻酔から覚めたら摘出がなかったことになってるみたい?
あ、これならいいなぁ~

こんな程度のルンルン感覚で一郎先生に同時再建の話をしたら、
彼はドヤ顔を急に曇らせました。
摘出は難しい手術ではなく安全にできるけれど、
再建はその人に合った綿密な設計のもとに行われるべきで、
同時にではなく、摘出の後、期間を置いてから、
ゆっくりと考えていく方が良いとのアドバイスをいただきました。
そして何よりもこの病院には再建を行う形成外科がありませんでした。

一郎先生のおっしゃることはわかるけれど、
でも、とりあえず、形成外科のある病院で、もう一度聞いてみよう・・・

それでまた別の病院で診ていただくことになりました。
この時には、人間せんせい、まだ「なかったことにできる感覚」でした。

第3場、次は二郎先生の登場です。



2016.05.13 
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昨年の春、マンモグラフィー検査に引っかかりました。

おぉ、これで、人間せんせいの病名も手術内容もわかるのですから
なんともすごい存在感のある検査機器でありましょう。

ここで舞台は3場。
脇を固めるのは、花子先生、一郎先生、二郎先生
主役は、左胸の「さっちゃん」と右胸の「みっちゃん」
小道具としては、細胞診針、生検針、マンモトームなどなど

ではまず1場、始まり始まり~

マンモで引っかかり、「さっちゃん」のごく小さな点々が気になった花子先生、
細胞を採って調べた方がいいでしょうということで、
画像データと共に医療センターを紹介してくださりました。

で、第2場

医療センターの一郎先生はデータの解析と、エコーで検査、
なんと彼は「みっちゃん」のもやもやの方が嫌な感じという見解。
それで「さっちゃん」も「みっちゃん」も注射針のような細い針で細胞を採りました。

結果は
「さっちゃん」はカテゴリー2、良性。
「「みっちゃん」はカテゴリー3の経過観察。

良性か悪性かの診断には5つの分類があり、
1と2は良性、4と5は悪性、3はどうとも言えず・・・ということのようです。

それでも納得しない一郎先生、
今度は太い針でより広い範囲の細胞を採りましょうと、
なんと、6ミリだかの針・・・これはストローくらいの太さで、
こういうものは、もはや針とは言わないのだろうと思いますが、
なぜか針生検という名がついています。

あわれ「みっちゃん」、麻酔されて切開され、ぐさぐさと・・・うううう・・・
あっちの方向、こっちの方向・・・
いや、患部を見てはいないので本当のところはわかりませんが、
3本か4本、人間せんせいの大事な細胞を採っていきました。

さて、結果はまたもやカテゴリー3。
それでも引き下がらないのが一郎先生。
そう、いわゆる刑事の勘、
こいつ、絶対に犯人に違いない、でも証拠がないっ! ってやつみたいです。
証拠が出ずに3ヶ月ごとに一郎先生は頭を抱え、
人間せんせいは痛い思いをしてもう辟易。
「先生、怪しいところはもう切っちゃったらどうです?」と、自分から言う始末。

そしてこの前の2月、ついに一郎先生がドヤ顔で
「DCISの証拠が出たよ。」と。

DCISとは、非浸潤性乳管癌のことです。
  <非浸潤性乳管がんを考える DCIS(非浸潤性乳管がん)って何?

おとなしい癌で、乳管から出ない、この先もずっと出ないかもしれない、
したがって転移もせず、古いがん保険なら対象外の上皮内新生物。
癌にしてはお行儀の良い子のようです。

以前なら見つからなかったもの、検査機器の精度が上がったために
ステージ0、超早期の段階で見つかる、
抗がん剤も放射線も不必要で、切除すれば根治、
今や2人にひとりだとか、癌は治る病気なんだとかの謂れがわかろうというものです。

それでも、DCISの場合、全摘出が原則標準治療です。
超早期なのに全摘出・・・ラッキーなんだかアンラッキーなんだか・・・

元々、命に係わる発見ではなかったのと、長い間痛い検査ばかりだったので、
人間せんせいとしては決着がついてむしろ清々した感覚でしたが、
病名が病名だけに、聞いた友達、兄弟は絶句、
なんでそんなにへらへらしてるのよ~と呆れています。

はい。ここで一幕は終わり。
幕間の休憩に入ります。
お弁当やお飲み物などどうぞ。

そう、まだ第二幕があるのです。

2016.05.12